
エステティックという言葉が日本社会に浸透し始めた1970年代末、一人の女性がたった16坪のサロンから歩み始めた美の革命があった。
たかの友梨——この名は単なるエステティシャンではなく、日本の女性たちの美容意識を大きく変えた象徴的存在だ。
私自身、女性誌編集者として90年代のたかの友梨ブームを最前線で目撃し、その後30年以上にわたり美容ライターとして活動してきた経験から、一つの確信を持っている。
エステとは「贅沢」ではなく「人生のメンテナンス」なのだ。
この考え方が今、改めて重要性を増している。
高度経済成長期からバブル期、そしてSNS全盛の現代へ—日本女性たちの自己メンテナンス意識はどのように変わってきたのか。
たかの友梨という存在を通して、女性たちの身体意識の現在地を考えてみたい。
たかの友梨がもたらしたもの
90年代エステブームの背景と社会的文脈
「エステといえば、たかの友梨」。
この一文が当たり前に浸透したのは、1990年代のことだった。
それまでエステティックは一部の富裕層や芸能人のみがアクセスできる特別な空間だった。
しかし、たかの友梨は1978年に新大久保の雑居ビルにたった16坪の第1号店をオープンして以来、エステを「普通の女性」にも開かれた場所へと変えていった。
幼少期に複雑な家庭環境で育ち、たかの友梨の子供時代の壮絶な生い立ちは彼女の成功への原動力となった。
90年代のブームには、バブル経済の余波と女性のライフスタイルの変化が大きく影響していた。
女性の社会進出が進み、自分自身への投資を積極的に考える女性が増えてきたのだ。
私が『Oggi』編集部に在籍していた当時、女性たちは「自分磨き」という言葉に夢中になっていた。
そんな中で、たかの友梨は「美容は特権ではない」というメッセージを掲げ、独自のエステ哲学を広めていった。
「庶民のラグジュアリー」としての革命性
たかの友梨の革命性は、エステを「庶民のラグジュアリー」として再定義したことにある。
高級感と親しみやすさの絶妙なバランス—それがたかの友梨モデルの特徴だった。
真っ赤な絨毯を敷いた高級感あふれる店内でありながら、比較的手の届く価格帯で気軽に通えるよう設計されたビジネスモデルは、当時としては画期的だった。
それ以前のエステは、料金体系がわかりにくく、何をしてくれるのかも明確でないという状況だった。
たかの友梨は「フェイシャル」「ボディケア」など、メニューの明確化によって女性が選びやすい仕組みを構築した。
「美しくなることの喜び」を広く女性たちに知ってもらいたいという思いが、たかの友梨の根底にはあったのだ。
実際の体験取材から見る、サロンの実像と変遷
『Oggi』編集部時代、私はたかの友梨のサロンを複数回取材する機会を得た。
最も印象的だったのは、エステティシャンたちのプロフェッショナリズムだ。
丁寧な施術はもちろん、カウンセリングにおける顧客理解の深さ、そして何より「顧客の変化を喜ぶ姿勢」に感銘を受けた。
当時と比べて現在のサロンでは、科学的なアプローチがより強化されている。
最先端の機器を導入しながらも、ハンドテクニックを大切にする姿勢は変わっていない。
また、サービスの多様化も顕著だ。
かつてはフェイシャルとボディケアが中心だったが、現在ではブライダルエステ、アロマリンパマッサージ、漢方や伝統療法を取り入れたメニューなど、サービス内容が格段に多様化している。
女性と”自己メンテナンス”の意識の変化
美容は誰のため?自己満足と社会的プレッシャーのはざまで
「美容は誰のため?」—この問いに対する女性たちの答えは、この30年で大きく変化した。
90年代、多くの女性は「他者に見られるため」の美容を意識していた。
男性の視線や社会の目を意識した美容観が主流だったのだ。
しかし、2000年代に入り「自分のため」という意識が徐々に強くなってきた。
社会的プレッシャーから解放され、自分自身の満足のために美を追求する女性が増えていった。
しかし現実には、「自分のため」と「社会的プレッシャー」の境界は曖昧だ。
SNSの普及により、より複雑な美の基準が生まれ、「見せる美」への意識は却って高まっているともいえる。
この二面性のはざまで、多くの女性たちは日々葛藤している。
「癒やし」「再生」「証明」…エステに求める価値の多様化
エステに求める価値も多様化している。
かつてエステに期待されたのは主に「美しくなること」だった。
しかし現代女性がエステに求めるものは、それだけではない。
- 「癒やし」: 日常のストレスからの解放
- 「再生」: 忙しい日常でダメージを受けた心身の回復
- 「証明」: 自分を大切にしている証としての時間投資
特に働く女性にとって、エステは単なる美容ではなく「自分を取り戻す場所」という意味合いが強まっている。
美容×ウェルネスの融合が起きている背景には、時間的・精神的余裕の少ない現代女性のニーズがある。
「美しくなる」に「元気になる」が加わったことで、エステの位置づけも変わってきたのだ。
更年期以降の身体との付き合い方:年齢と向き合うケアの視点
更年期を迎える40代後半から50代は、女性の身体に大きな変化が訪れる時期だ。
女性ホルモンの急激な減少に伴う肌の変化、体形の変化、体調の変化—これらに対して適切なケアが必要となる。
自身も更年期を経験した者として痛感するのは、この時期の自己メンテナンスの重要性だ。
かつては「年齢を重ねることへの諦め」が社会的に当然視されていた。
しかし現代では「いくつになっても自分らしくいられる」という前向きな考え方が主流になりつつある。
更年期のケアは、単に外見を若く保つためではなく、これからの人生を活力を持って生きるための投資なのだ。
エステもそういった視点でサービスを進化させており、更年期特有の悩みに対応したメニューも増えている。
エステは贅沢か、それとも責任か
「贅沢」から「必要」へ:宮崎のルポ取材から見える意識転換
エステに対する社会的認識は、「贅沢品」から「必要なケア」へと徐々に転換してきている。
私がこの30年間で取材してきた女性たちの声からも、その変化は明らかだ。
かつて「隠れてエステに通う」という女性も多かったが、今や「自己投資の一環」として堂々とエステを活用する女性が増えている。
特に40代以降の女性たちは、エステを「身体のメンテナンス」として前向きに捉える傾向が強い。
これは、社会全体の健康意識の高まりとも連動している。
「病気になってから治す」のではなく、「病気にならないように予防する」という発想が浸透したことで、エステも予防医学の延長線上で捉えられるようになってきたのだ。
自分の体に責任を持つということ:メンテナンスの倫理
近年の私の活動テーマである「女性が自分の体に責任を持つこと」は、エステの文脈でも重要な考え方だ。
自分の体は他人任せにできない。
最終的に責任を持つのは自分自身なのだ。
この考え方は、受け身でエステを利用するのではなく、主体的に自分の体と向き合うことの大切さを示している。
たかの友梨もまた、単にサービスを提供するだけでなく、顧客自身が日常でのケアを継続できるよう美容教育にも力を入れてきた。
自分の体のことを知り、日々のケアを怠らず、専門的なケアを適切に取り入れる—この主体性こそが、現代女性に求められる「メンテナンスの倫理」といえるだろう。
サロンの光と影:ラグジュアリー志向への批判的検証
エステ業界の発展には光と影の両面がある。
業界の先駆者であるたかの友梨も含め、多くのサロンが女性の美と健康に貢献してきた一方で、表層的なラグジュアリー志向に傾きすぎるリスクも常に存在してきた。
高額なコースへの勧誘や、根拠の曖昧な効果謳い文句など、業界が抱える問題点も忘れてはならない。
健全なエステ業界の発展のためには、利用者自身が情報リテラシーを高め、「本当に必要なケア」と「過剰な消費」を見極める目を持つことが重要だ。
こうした批判的視点を持ちつつも、エステが女性の生活の質向上に寄与してきた功績は大きい。
バランス感覚を持ちながら、必要なケアを選択していくことが、これからの賢い消費者には求められるだろう。
これからの”自己メンテナンス”をどう考えるか
美容とウェルネスの交差点:スキンケアからライフケアへ
現代の美容トレンドの最前線は、「スキンケア」から「ライフケア」への拡張にある。
肌だけでなく、体内環境や精神状態までを包括的にケアする視点が重視されるようになってきた。
たかの友梨も近年、エステを「健康と美容の融合」の場として再定義し、サービス内容を拡充させている。
例えば、「インド伝統!ホットなセサミオイルで腰の仙骨まわりを温めながらケアする女性のためのエステ『カティバスティ』」など、東洋医学の知恵を取り入れたメニューも登場している。
美容の未来は、表面的な美しさだけでなく、全人的な健康と美の追求にある。
特に、長寿社会において女性たちが生涯にわたってイキイキと過ごすためには、総合的なケアの視点が欠かせないだろう。
女性の「ケアする力」を取り戻す:主語を「自分」にする時代
忙しい現代社会において、女性は自分以外の誰かをケアすることに多くの時間を費やしてきた。
家族、子ども、パートナー、職場の人間関係—「他者のケア」に時間とエネルギーを注ぐ中で、自分自身をケアする時間を確保できないという矛盾が生じている。
私が強調したいのは、女性たちが「自分」を主語にした時間を取り戻すことの大切さだ。
自分をケアする技術と時間を持つことは、決して利己的なことではない。
むしろ、自分を大切にすることで、周囲の人々にも良い影響を与えることができる。
たかの友梨のような存在が広げた「女性のためのケアの文化」を、より日常的なレベルで取り入れていくことが、これからの女性の生き方の一つの指針になるだろう。
SNS時代の情報との付き合い方:見せる美容 vs. 見つめる美容
SNS時代の美容情報は玉石混交だ。
Z世代の91%がSNSで美容情報を収集しているという調査結果もあり、特にInstagramが情報源として最も活用されている。
しかし、情報の氾濫は必ずしも正しい知識の普及には繋がっていない。
SNSでは「見せるための美容」に偏りがちで、内面からの健康や長期的なケアという視点が軽視されやすい。
私たち中高年世代と若い世代の間に存在する情報格差も課題だ。
SNSを通じた若年層との接点の薄さは、世代間の美容観の断絶を生んでいる。
これからの美容情報との付き合い方としては、何を「見せる」かではなく何を「見つめる」かに重点を置く姿勢が大切だろう。
自分の身体の声に耳を傾け、本当に必要なケアを見極める—そんな「見つめる美容」の哲学が、情報過多の時代にこそ必要とされている。
まとめ
「自己メンテナンス」は、単なる美容の話ではなく、女性の生き方の核心に触れるテーマだ。
たかの友梨が切り開いたエステの民主化から現在に至るまで、女性たちの身体と向き合う姿勢は大きく変化してきた。
「他者のため」から「自分のため」へ。
「贅沢」から「必要」へ。
「部分的ケア」から「統合的ケア」へ。
こうした変化の中で、私たちは改めて問い直すべきだろう。
あなたにとって「メンテナンス」とは何か?
それは誰のためのものか?
自分の身体と心に対する責任を持ち、丁寧に向き合うこと—それが私の考える本当の「自己メンテナンス」だ。
たかの友梨という存在が教えてくれたのは、美しさを追求することの先にある、自分自身を大切にするという本質的な価値だったのではないだろうか。
その精神を受け継ぎながら、現代の女性たちは自分なりの「メンテナンス」の形を模索し続けている。
あなたは、どんな「メンテナンス」を選びますか?
最終更新日 2025年5月8日